2014年の8月19日、僕たちはPrologueを実験的リリースした。何が実験かと言うと、これはフルリリースに向けてリリースというのがどんなものかをテストしてみたかったことと(同時に僕らはRenPyの見えない壁を発見した。これについてはまた後日…)、それと同時に何かを、もはや何でもいいからリリースしたかったからというのがある。ファンの皆の期待度が高まりすぎたのか、そこまで待たせているわけではないのに、何年待たせるんだよ!みたいな空気に耐えきれなくなったからというわけでは、決してない!
そして、ベティという子は、最終バージョンのプロットでは中心人物とは言えないにしても、あらゆる意味で僕らの先駆者となってくれたキャラクターだった。VA-11 Hall-Aの開発秘話の中ではかなりの重要ポジションを占めていたんだ。
彼女の誕生日をプロローグのリリース日と同じにしたというのもそういった理由があるわけ。じゃあ始めようか。
もし君たちが既にあれやこれを読んでいたとしたら、こういう話をするときにはいつも「土台」から話し始めるのが分かっていると思う。ということでベティの土台は「グラノーラガール獣医」だ。(グラノーラガール=山ガールに近い)
ここにまず彼女の特異性が見られる。というのも、ベティ以前のキャラクターたちは、どれだけ頑張って平凡な子にしたとしても、それでもサイバーパンク味があった。女性型セックスワーカー、ハッカー、殺し屋、喋る犬、犬の世話用アンドロイド… そんなサイバーパンカーたちの中で輝く獣医師という職業。サイボーグ獣医師でもない。僕らの知っている獣医師と違うところと言えば、担当する患畜の中にたまに喋る犬が混じってる、というくらいか。
VA-11 Hall-Aでは、いわゆるヒーロー・ヒロインたちではない、背景にいるようなキャラクターたちを描くのをテーマの一つにしている。だから、「一般の」人を描くこと自体はなんらおかしいことじゃない。つまり僕らはベティのおかげで、配送会社で働くマリオや、ちょっと強引な母親がいるノーマや、そしてジルというキャラクターたちを描く自信がついたんだ。
とは言え、せっかくのサイバーパンク世界なんだから、彼女にも多少はサイバーパンクしてもらわないともったいない感じはするよね。なので、グラノーラガールという要素とサイバーパンクをかけ合わせて、彼女のスタンスである「反オーグメンテーション」が合成されたというわけ。
実際のところ、ベティの話とは別にしても、オーグメンテーションというトピックは興味深い内容ではある。もし君が練習もスキルも不要、手術だけで能力を向上させられるとしたら…どうする?
ベティのバックストーリーでは、この話の行き着く先の一つが語られる。ベティの大学時代の友人たちが怪しい業者の勧めで腕部強化手術をしたという、今で言えばタトゥーや美容手術と似たようなやつだ。
ここでベティという存在がどうやって僕らの経験値を稼いでくれたかという話が出てくる。元々のプロローグで彼女がこの話をし始めるときとその後の議論は、なんというか、でかいハムで顔面をぶっ叩いてくる感じだった。
「努力じゃなく、お金で能力を上げる社会になっちゃうじゃない!」「でも、もし腕を失うようなケガをしたときに、義肢も強化のうちに入っちゃうってこと?」みたいに適切な議論、適切な問題点のやり取りではなく、どっちかと言うと一方的な虐殺だった。議論のトピックとしてはアリでも、やり方がプレイヤーと議論するのではなく、ベティの怒りでやりこめるような形になってしまっていたんだ。
こういうトピックの書き方についてはさすがに上手くなってきている…と信じたい。特にアートとステラが資本主義に関して議論しているところは自分でも自信があるよ。だから今だったら、元々のプロローグの単語を幾つかちょっと変えただけでもだいぶマシにできただろうというのが分かる。ベティがその話題に脊椎反射的に反応するんじゃなくて、何気ない話から徐々にその話題に移っていったようにしている、みたいなね。
こういう議論をするときは、薄っぺらいマニフェストを作るんじゃなくて、キャラクターやプロットを通したやり取りのほうが好きだ。キャラクターたちはゲームという世界の中で考える生き物なんだから、様々なトピックに関して自身の意見を持ち、他者とその意見を戦わせるというのは非常に自然なことなんだし。だから、あるトピックを考えて、それに関して二人のキャラクターがどう議論するかを考えるというのはライターとして良い練習になるんだ。しかも楽しい。
次にベティがモルモットになってもらったのは、彼女の性格と他キャラとの相性だった。それまでは、深みのあるキャラクターや相互関係というのを作り出すチャンスがなくって。
ベティの性格は、ディールの引き立て役というのが基本設計にある。だから、ディールが冷静で(たぶん)理性的、いっそストイックなまである、となるとベティは逆に感情的で非合理的になる必要があったというわけ。でも「感情的」というのは感情の波が激しいというのだけを指すわけではないよね。ベティの場合は、彼女が何かに対して何かの感情を覚えるとき、その強さがいつも大きめになるという形に感情的なんだ。
そしてベティが非合理的なのは、その強い感情に引かれた行動がそうなりがち、ということ。自分のオーグメンテーションに対する態度が意固地になりえるというのは理解できていても、その話題に対してどんな感情を抱いてしまうかというのは彼女にはどうしようもないことなんだ。
読者の中にも、自分を感情的な人間だと思っている人や、上に書いたことに共感する人がいると思う。そして、その暴走しがちな感情への対応策として、外側、つまり見た目だったり表情だったりを堅くする人もいる。これがまさにベティが初登場時に不機嫌に見える理由であり、そして僕自身のことでもある。ここはもう分かりやすいくらいだけど、ベティのこの性格は僕が経験してきたことが反映されてるんだ。
そして大きなゲームを作るときには、キャラクターにどのくらい深みを与えるべきなのかというのを考えるのも良い勉強になった。ベティが酔っ払ったときの変貌について誰も違和感を覚えなかったというのは、僕らのやり方が正しかったことの証拠と言えるかもしれない。こんな風な練習を重ねることで、一見しただけではその性格を想像できない、でも違和感はないキャラクターたちを作る方法や、その内面をしっかり考える方法がわかってきたんだと思う。
余談だけど… ゲームという、プレイヤーの主観が全てである媒体、しかもプレイヤーのみんながキャラクターたちにどう反応したかというのを、ありとあらゆる形で見てきている僕らが書くこのブログ、もしかすると「僕らはこんな素晴らしいものを作りました!」と自慢しているだけになっちゃってるんじゃないかと不安になったりすることもある(今はだいじょうぶ)。
このタイプの記事は、最終的なバージョンにいるキャラクターたちが、僕らのどんな精神的プロセスにより生み出されてきたかということを説明するために書いている。初期バージョンはどうだったのか、それが僕らの頭の中でどう変化していったか、ゲームの他の部分にどんな影響を与えていったか…
言っておきたいのは、「これが真の解釈なんだぞ!」と強要するために書いているわけじゃないし、それこそ僕らの素晴らしさを説明する公開オナニーでもないってこと。僕らはただ単に、クリエイティブプロセスを記録したかっただけなんだ。…まあ、ゲームを完成させたということに関してはちょっとオナっちゃってもいいんじゃない?とは思ったりもするけど。僕らにとってこれだけは確実に偉業と言って良いやつだし。
ということで、ベティがVA-11 Hall-Aのキャラクター作成に関してパイオニアでもあり実験台であったということがおわかりいただけただろうか。とか言いながら、ベティはプロローグのときとリリース版でなにか変化はあったのかというと、特になかった。
彼女の核となる見た目も、性格も、行動原理も内面も何一つ変わらなかった。変わったのは僕らの方。リリース版の頃には僕らの経験値が上がっていたということ。特にベティとディールに関してはプロローグ用に既に書いているのでいっそ一番簡単だった、まである。ちょっとだけ不機嫌じゃなくなったかもしれないね。以前は常に怒っていた気がしたけど、プロローグ改訂版ではどっちかと言うと疲れている、くらいになったわけ。
よし、もうベティに関しては全部説明できたと思う。だから終わりの言葉みたいなものも特にないかな。
と思ったけど一つあった。VA-11 Hall-Aに仕込んだネタの数々に盛り上がってるのを見てきてそれに愉悦してたけど、まだベティの元カノの名前がベロニカだってことにツッコミを入れた人は見たことない。わかりやすいネタだと思ったんだけどね。