サイバーパンク作品では貧富の差を描いているものがとても多いけど、金持ちの立場が描かれることって、あんまりない気がしている。富める者という存在がもはや神話レベルになっているだけ、ということが多い。実際に金持ちが登場する場合も、キャラクターとしてはごく平凡だったり、ただの悪役ポジションで終わることがほとんど。
じゃあ、僕らがサイバーパンク世界の金持ちを描いてみるとどんな存在になるだろうか?
ステラはプロトタイプ版のあと、二人目に生み出したキャラクターだった。
/agdg/スレ(4chanのアマチュアゲーム開発一般スレッド)でもらったフィードバックを元にKiririnがデザインを調整してたのを覚えてる。以前書いた、オンラインフィードバックの結果生まれたキャラクターの二人目がすとり〜みんぐチャンだったというのは覚えてる?そう、あの一人目がステラだったんだ。
基本コンセプトはセイと似ている。セイが権威主義の衣を借りたポリ公というものの一部分に名前と顔をつけたものとするなら、ステラはサイバーパンク世界での貴族様バージョンだった。リアルの世界ではヒーローもヴィランもいないんだからね。金持ちも権力者も、僕らとそこまで大きな違いはない、1人の人間なんだ。
そしてそれがステラというキャラクターのインスピレーションとなった。
僕は義務教育をずっと「金持ちの子どもたちが通う学校(少なくとも世間ではそう言われていた)」で過ごした。
通い始めてすぐ学んだことは、金持ちの生徒とそうでない生徒の見分けなんてそうそうつかないってこと。偉そうにしてる子どもたちがいても、親がどうというのとはあまり関係がなかった。というか、めちゃめちゃ礼儀正しい子供たちこそが金持ちの子供だったというケースも多かった。そんな子どもたちの親は、戦い抜いて今の立場を勝ち取ってきたから、物事を当たり前だと思うな、年長者を敬えといったことを常に子どもたちに教えているからかもしれない。
その頃の僕の記憶に、校長先生が年に一度夏休みにスタッフ全員を買い物ツアーに招待していたことや、校長の息子たちが僕の出会った中で最も礼儀正しい人達だったというのがある。
あと、地元企業がクリスマスには子どもたちに盛大におもちゃをプレゼントしていたのも覚えている。それがたとえ税金対策とかの即物的な理由だったとしても、会社で働いている人達を知り、その努力を見ると彼らは心の底からその善行を行っているんだなと分かった。
とまあ、こんな感じの思い出たちがステラのキャラクター生成に一役買っている。
自身の権力よりも、その育ちの良さのほうが目立ってしまう人。もしいかがわしいことに手を染めなければならないことがあったとしても、それが人生の問題でもビジネスの問題でも、培ってきたモラルを第一に考えて動く、そんな人。
ステラのもう一つのコアとしては、まあアレだ、ネコ耳だよね。
ここで育ちの良さとネコ耳、この2つを関連させられたら面白いのでは?と思った。
ネコ耳が医療行為の結果だったとしたらどうだ?その施術行為がハイクラスの人達のものだから、ハイじゃない人達がハイクラスの気持ちを味わうために、必要のない施術を受けるという流行があったとしたら?
そんなわけで、キャットブーマというアイデアは金持ちや有名人+医療行為という組み合わせから生まれた。
割礼という文化がかつての親たちの中で流行していたのと似て非なるものかもしれない。この場合だと、男の子に割礼を施す代わりに、生まれる前の子どもにその街の風土病対策の治療(しかも大抵の場合不要)をするというやつ。そしてその治療の副作用として、幸運にもネコ耳っぽい器官が生成された、と。
ここでの「流行」という概念、他のサイバーパンク作品(サイバーパンクに限らないけど)であまり見ない要素だと思っている。
流行というものはこれまでもこれからも確実に存在するものだよね。若者であろうと、親であろうと、何かしらの分野のプロであろうと。その流行を追いかける人の数や、流行そのものの規模が大きくなったり小さくなったりするという変化はあれど、意識的であろうとなかろうと、流行の一部になるというのは人間の本質だ。だから、僕らが見せたかったのは未来でも引き続きおバカな意味のわからない流行というものはあり、それを追う人たちがいて、そういう人達の中には追った結果と共に生きなければならなくなった者もいるということ。
性格的には、ステラはセイを際立たせるように設計した。これは当初からの想定。初めてステラのスプライトができたとき、なんとなくセイと並べてみたらみんな「一緒だとめっちゃかわいいね。これはもう親友にするしかないでしょ!」となって、あとはもう流れるままに進んでった。
さて、締めの一言としては… ステラのというキャラクターが生まれたきっかけのひとつを紹介しておこうかな。
金持ちの生活という仕組みは金持ちの人達だけで回っているわけではないよね。最下層のブラック企業から中流階級のホワイトカラーも含め、ありとあらゆる人達が歯車となって動く中に金持ちの生活というのも存在している。
なのに多くのサイバーパンク作品では、いつも下層の人達ばかりフォーカスされ、金持ちたちのライフスタイルがどう成立しているかが語られることは少ない。龍が如く0でシノギを進めるには、生活費を稼ぐのに背一杯なごく普通の人々を雇って管理していく必要があるというのに似ている。
これって結構ブルーオーシャンだと思うんだけど、どうかな?